コラム・情報

銭湯の知識

銭湯は広告の場

銭湯の最盛期の昭和43年(1968年)には全国で1万8325軒もあった。かつての銭湯にはたくさんの人があつまる社交場の役割を担っており、広告を出すのに効果的な場所と考えられていた。テレビが一般に発売されたのは1953年。発売当初のテレビは高級品で、まだ一般には多く普及されていない。そのため人が集まる銭湯は広告効果が期待され、近所の店の広告が浴槽や脱衣場に掲示されていた。掲示される広告のほとんどが銭湯周辺の店や、映画のポスターもかつては貼られていたそう。

最近では銭湯の浴室や脱衣所の壁面の鏡に貼られた広告である鏡広告がテレビやネットなどのメディアで取り上げられ、注目を集めているそう。

銭湯で目を引く鮮やかな桶の正体

取材で銭湯を訪れ浴槽に足を踏み入れると、ぱっと鮮やかでレトロな見た目にひときわ目を引いた「ケロリン桶」。

銭湯ではおなじみの桶で、その歴史は昭和から始まっている。昔は桶といえば木製だったが、プラスチック製のこの「ケロリン桶」が昭和38年(1963年)に登場する。内外薬品が作る鎮痛剤の商品名「ケロリン」の文字が桶の底に書かれており、広告効果を狙って採用された。繰り返し使っても「ケロリン」の印刷文字が落ちることなく、軽くて丈夫で衛生的でことから全国に普及していったそう。

この「ケロリン桶」には関東サイズと関西サイズの2タイプのサイズがあるのはご存じだろうか?

関東サイズは直径22.5センチ、重さ360グラムなのに対して、関西サイズは直径21センチ、重さ210グラムと一回り小さい。

これは文化の違いに起因していて、蛇口から出る湯で体を洗ってから浴槽につかるのが一般的な関東に対し、関西は最初に湯船から風呂桶で湯をくみ、掛け湯をしてから浴槽につかる。関東サイズのケロリン桶では、湯を入れたときに重すぎるとのことで関西サイズが生まれることになったそう。

銭湯の風物詩

銭湯といえばお風呂あがりにぐびっと飲む「ビン牛乳」をイメージする人も少なくないだろう。銭湯の定番としても親しまれてきた「ビン牛乳」。各メーカーが相次いでビン牛乳の製造を終了している。大手飲料メーカーの森永も時代とともに変化する市場環境やニーズを理由に今月いっぱいで(令和6年3月時点)で製造を終了する。長く愛されてきた「ビン牛乳」の歴史を振り返ると昭和にさかのぼる。

牛乳が銭湯に置かれるようになったのは昭和30年代(1950年代)。前述のように昭和30年代にはテレビもまだまだ普及しておらず、多くの人が集まる銭湯には大きな広告効果があった。乳業メーカーはそこに目をつけ、銭湯に商品をおいてもらうことで大きな宣伝効果を期待した。

さらに、同時代は冷蔵庫も一般家庭にはまだまだ普及していなかった時代。腐敗しやすい牛乳を家庭で買い置きしておくことは難しく、最新の冷蔵庫がある銭湯に行けば牛乳が飲めることからたちまち普及していった。その名残が今でも残っている。

最盛期の昭和43年(1968年)には全国で1万8325万軒もあった銭湯も、1970年に家庭の内風呂が普及したことをきっかけに年々銭湯は減少傾向にある。2022年には1865軒にまで減少している。

今回当サイトの昭和レトロスポットとして取り上げた銭湯、「清光湯」と「昭和湯」。どちらともそれぞれのやり方で後世に残そうとしている。両者の記事と併せて読み楽しめるようにとコラム記事を書いた。

昭和の銭湯のように、広々とした大きな浴槽で他の利用者とコミュニケーションを取りながらお風呂につかる。今ではそのように地域の人が集いコミュニケーションを取れる場は多くなく、今でもその役割を担う銭湯は貴重な存在だ。そんな古き良き昭和の日本の姿に憧れて、少しでもその姿を残していきたいと思う。

参考・・・

「銭湯 浮世の垢も落とす庶民の社交場 町田忍」

「懐かしくて新しい銭湯学 町田忍」

https://sirabee.com/2021/08/17/20162639573/2/

https://www.oyunofuji1010.com/news/2520/

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